元幼稚園教諭おかんの頭の中

元幼稚園教諭2児の母のわたしの頭の中覗いてやってください。

幼少期のわたし

 

わたしは母の実家がある山形でうまれた。

雪の降る寒い日。

母方の祖父母にとっては初孫だった。

父方はすでに孫が2人いたが、内孫としては初めてだったからか、母の実家から現住まいのある関東に帰ってくる際には父方の祖父母が迎えに来て、祖父は母方の祖父母に背を向けるようにして、わたしを抱いたらしい(母からのエピソード)。

 

2年後、同じく山形にて妹の誕生を迎える。

2歳1か月過ぎだったわたしは、それまであまり言葉が出ていなかったようだが、祖父母とともに過ごしたことで一気に語彙習得をし、お話好きになったそうだ。

母方の祖父がビデオ(死後?笑)を撮るのが趣味だったこともあって、小さい頃の映像がたくさん残っているのだが、中でもお気に入りなのは水遊びをしている映像だ。

わたしがシャワーのヘッド部分を持っていることに気づかなかった祖父がプールに水をためようと水栓をひねった途端、顔にぶっかかった。

幼きわたしは高速でフラダンスをしているかのような腰ふりをしながらしゃがみこみ、かわいらしく「ふぇ~ん」と泣くのだった。

 

妹とは2歳差ということもあり、小さい頃はそれなりに仲よく遊んでいたと思う。

ちょっと高くなっているところにのぼってはリサイタルを開いたり、「となりのトトロ」を見て揺れながら歌ったり。

 

4歳になり近くの幼稚園に入園した。

英語体操に力をいれている一斉保育をメインとした園だった。

記憶に残っているのは、砂団子を作っていたこと、体操の時に縄跳びをもって引きずられるのが嫌で泣いたこと、ハロウィンの行事で街を練り歩く際に大好きな友だちに「ついてこないで!」と言われたことだ。

砂団子づくりはとっても楽しかった。ただ多分誰かと一緒に作っていたのではなく、一人でじっくり作っていたと思う。

体操のエピソードは、とにかく嫌な思い出でしかない。無理やりやらされるってつらい!って思った。

ハロウィンのエピソードは、、よくもまあ大人になってまで覚えているよなあ、、このころからわたしは根に持つようになったのか、今のわたしのスタート地点といった感じである。

ほかにもちょいちょい思い出すのだが、友だちとあれしたこれした、という思い出より、ひとりでゆっくりと何かをした思い出のほうがよみがえってくる。

昔から友だち付き合い下手だったのかなあ笑

 

年中の6月、父の日の行事当日には嘔吐し入院、結果肺炎で1週間独りぼっちとなった。大部屋だったのと、帰れると分かった日にようやく眠れたこと、聞き手の右手の甲に点滴を刺されいまだに跡として残っていることを覚えている。

 

振り返ってみると、このころは楽しかったはずなのだが、人とかかわった楽しかった記憶というものはないことに気付いた。

もちろん写真等で残っているから交友関係があったことも知っているし、いまだにつながっている友だちもいるのだが、今もなお自分の頭の中のこととして思い出せるのは「ひとり」の自分だ。

 

自分の古い記憶をたどったことなんてなかったから、おもしろかったな。

自分がどう生きてきたのか、今の自分がどう出来上がってきたのか、振り返るいい機会になった。

小学校、中学校、高校、大学、社会人、そして現在。

つらいこともたくさんあったから、思い出したくないこともあるけど、振り返って記していこうと思う。

 

読んでくださった方、気長にお待ちくだされ。。。